~ジービーズ(天珠)の見極めについて~
お客様からジービーズについてのお問い合わせがとても多いこともあり、
少しジービーズについて書かせていただくことにいたしました。
アジアの骨董・古美術の世界でも最も見極めの難しい世界のひとつにこのジービーズがあげられます。残念ながら一般の方が判別できる世界ではなくプロでも時に、そして当店も今まで幾度となくアドバイスをしてまいりましたが国立博物館など研究機関においても惑わされるほど超難解な世界です。
それはみなさんの想像以上です。
決して簡単ではないということを販売側も含め認識しておくことは極めて重要です。
ここ数十年の間に商品としてこの世に生まれ、現在も大量に生産されているコピー品(天珠と呼ばれているもの)でご満足いただける方は特に気にされる必要はございませんが、ジーの最大の魅力である代々受け継ぎ守られてきた千年をまたぐ本物のジービーズにご興味がある方はそれ故ご購入に十分な注意が必要になります。
当店にも毎月のように本物と思いこんでお召になられているお客様がお見えになります。
お客様から「見て下さい」と言われない限りは何も言いませんが、見せていただいた中にはとても大きなお金を費やしてしまわれた方もおられました。
この世界に生きる者として自身の力の無さと、一向に変えることのできないこのような状況を本当に申し訳なく思います。
このような悲しい状況を少しでもなくせればと思い簡単ではありますが一般の方でも見極めができる方法をお話させていただきます。
その前に、基礎として既にご存知かもしれませんが「本物」の定義について一応触れておきます。
チベット美術、ジービーズの愛好家、考古学、アンティークビーズの世界では異論なく古代からのジーのみオリジナル、つまり本物として認識されております。これが世界のスタンダードです。
しかし、後述で少し触れますがこちらの括りではイランからマレー半島にかけて見られる出土品も含まれます。
これに対して「天珠」と呼び新しいものを扱われる方からは異論があると思います。理由はよくわかります。
これをお読みのお客様でもし違うと思われる方は、なぜそう思われるのか、そしてその根拠とともに、チベット史とアジアの古代史、さらには古美術の世界を時間をかけて見つめ直し、もう一度ジーの存在と誕生した歴史について事実に基づいた検証をされるとよいでしょう。
そして当事者であるチベットに実際に赴き、本当にジーを守ってきた人々から真の情報を得、長く深く交流を交わしていただければこの定義について必ず理解が得られるはずです。
当店にはチベットからチベット人がよく訪れますが、よく彼らの口から聞かれるのは
「日本もコピーが多いね・・ それなりのところをいくつか見たけどとても危ないし そもそも本当の意味でチベットとズィを理解できていないよね・・」
「ズィは本物でなければダメなんだよね・・ 本物のズィを付ければそれだけでとても幸せな気持ちになるんだよ・・」
千年を超えその文化を守ってきた当のチベット人が、特に当店の来られるようなかなりの知識を有したチベット人がコピーに対してこうして認識しているという事実を多くのみなさんには知っていただきたいとおもいます。これが真実です。
そして天珠を扱う石屋の説明に、よく「扱う人により本物の定義が異なる」というようなことを言う売り手がおりますが、その認識は大きな間違いです。
自身の勉強不足が招いた結果と気付かず、考古学、民族史、古美術の世界を知らぬが故の過ちです。
ジービーズの発生理由を謙虚に受け止め、その歴史を鑑み、常識的な思考で判断すれば古代から生きたジーのみが本物であるという事実は否定できないはずです。
現代のものが歴史の必然的な要求からではなく商業主義の中で生まれた事実をよく理解することが必要です。
ピカソが描いた絵でなければピカソの絵ではありません。
写楽の絵でなければそれは写楽ではありません。
それとおなじことです。これが古美術、民族美術の常識です。「欲」が透けて見えるようなものはだめなのです。
コピーは実に貧弱で時代に耐えた生き様や強さが存在しません。
また、天珠という名のコピー品を売る石屋によく見られますが、「本物はほとんど流通していない」という文言があります。
コピーを売る方にとって最も困る存在が「手に入る本物の存在」です。
ですから50年近くをかけ、台湾や中国の製造業者が必死に本物から眼をそらすような流れを作りました。
そして日本の業者も自ら真実を検証せず、まんまとその流れに乗ってしまう。実に情けない話です。一体お客様を、チベットの文化を何だと思ってるか問いたいところです。同じ日本人としてなぜそこに手を出すのか理解に苦しみます。
さらに付け加えさえていただきますと、残念ながら現在の日本では「天珠」と言う漢族目線の言い回しが広く浸透していますが、現在のチベット族の状況や彼らの文化を尊重する視点に立てばやはり「ジー」もしくは「ズィー」と言うチベット本来の言葉を使うのが良いと思います。
人権や文化を重んじる欧米ではこのことは当たり前のこととなっていることも知っていたほうが良いでしょう。
事実、私の仲間のチベット人は「天珠」という言い回しに嫌悪感を持っておられる方が少なくありません。
ここでひとつ大事な例を記載しておきます。
世界中で古代アジアやアジアの民俗学を研究されている多くの学者が一度は眼を通す有名な古代ビーズの専門書に次のような説明があります。
そこに載る掲載写真には100年程度経過したガラス製、その他樹脂、陶器製に並びいわゆる古代から続く本物のジーがあわせて紹介されています。
そしてそこにはその本物以外をすべて明確に「コピー」と記載しています。
また、別の箇所においても皆さんのよく知る台湾中国等で作られた瑪瑙製のいわゆる天珠についても、
「フェイク」、つまり偽物と明確に記載があります。
さらに英国オックスフォードにある博物館に於いても、100年程度経過したガラス製をイミテーション、
日本語に訳せば模造品、もしくは偽物として表記しています。
長い間、そこに人生をかけ研究してきた多くの研究者がこうして公に向け述べている現実を
我々はしっかりと認識するべきではないかと思います。
当店ではこうした世界中の専門書並びに資料を相当数所有しておりますので、
ご興味のある方は実店舗でご覧いただけますのでお申し出ください。
さて、話を戻します。
チベット人の多くは現在でもジーをしています。でもそのほぼすべてが台湾や中国で作られた1950年からこちら側のものです。これらはお守りとしてではなく商品として作られ輸出されたものですので我々の世界では筋違いのコピー品として見られています。
昔のジーのコピーは技術的には古代ジーに見劣りはするものの歴史の記述から唐代にまでさかのぼる事が確認されております。
1900年代前半にはインド、ドイツなどでサーペンチン、ガラス、セラミックなどを材として作られたコピーのジーが大量に出回り始めます。
その後、1900年代中ごろには今のコピー品に近いレベルのものが台湾で現れチベットに輸出され今に至っております。
また、近頃はさらに容易な樹脂製のコピーまで出回っている始末です。
こうした歴史の中、希少なアンティークのジーは非常に大きなお金を生みます。
その為、チベット人もこうした現代のコピー品を一生懸命古く見せます。削ったり傷をつけたり・・。
中には古く欠けたジーを樹脂やガラスで足し見事に復元させたりもします。また、多くのチベット人が自身のジーがどこからのものか良く分かっておらず身につけている状況も多々見られます。
現在、こうしたコピーが本物と称してチベットや世界の市場に大量に出回っています。
チベット人も他の民族同様に全ての方が真面目なわけではありませんので寺院から出てきただのどこかの村の偉い人が着けていただのと、色々なことを言っては観光客や未熟なアンティークディーラーを騙していきます。
それではここから本題に入ります。皆さんはジーを代表する文様といったら何を思い浮かべますか?ブッダアイ(仏眼天珠)、サコナゴ(天地天珠)などございますが、恐らく最も多くの方が9アイ(九眼天珠)を思い浮かべるのではないでしょうか。
骨董の世界では必ず有名なものがコピーの代表格となります。
例えば書画の世界でしたら円山応挙などです。「円山応挙の掛け軸が我が家にあります」と聞かされてまともに信じる愛好家はまずいないでしょう。
同じようにジーの世界ではこの9アイがそれにあたります。ですからほぼ完璧な状態のこの9アイをアンティークと称して売っているようでしたらそこは警戒した方がよいでしょう。さらにこの9アイを複数販売しているようでしたら本物のジーはそこにはまずないと思った方が良いでしょう。
これはどういうことかと申しますと我々プロの世界でも今となってはコレクターの品など一部を除き完璧な状態を有する本物の9アイを見られるケースは早々ございません。絵画の世界で言えばダヴィンチのような存在です。ですから複数販売できる方がおられれば瞬く間に世界中の愛好家に知れ渡り取り合いになることは確実です。
そのような存在の9アイ、もし本物のアンティークでしたらタワーマンションと同じくらいの価格になります。ですから数十万円とか数百万円とか相場からかけ離れた値段がついていたら、そこは残念ながら見極めがまったくできていないか、もしくは皆さんを騙しているかどちらかです。
私の今までの経験からいいますと日本では販売者さんも決してだましているわけではない場合が多いようです。ただ、本物のジーの世界をまったく理解していないということだと思います。
しかし、それは尚さら消費者にとってはやっかいな出来事ですので、どんなにお話がそれなりだとしても、このようなジーを扱っている場合はそこではジーや他のアンティーク品には手を出さない方が良いでしょう。
ちなみに、当店だけではありませんが、かりに所有していたとしても、ネット上で公開することは躊躇するほどの品であり早々人に見せることはないでしょう。
また、たまたま9アイがなかった場合も考えられますので、一番良く見ることができ皆さんが最も間違ってご購入されてしまう2アイ(二眼天珠)についても少し触れたいと思います。
こちらもまず見極めは出来ませんので価格帯で見てみましょう。大きく割れてしまっていたり、文様が大きくぼやけてしまっていたりすれば数万円から十数万円ということもありますが、そこそこ文様があり、それなりの状態を留めていたとすれば、アンティークの場合は状態によりかなり差が出て参りますが60万円から300万円程度までが相場です。ですから数万とか20万円など少し相場から離れた数字が出てきたら十分注意してください。
ちなみに3アイ(三眼天珠)ですと状態にもよりますが最低でも300万円位からでしょう。
次に、年代についての表記に注目してください。100年前とか300年前とか中途半端な時代を示しているジーはまず間違いなく1950年からこちら側のコピーです。
ジーはざっくりではありますがおおよそ千年程度は経過しており、それより浅い年代のジーに本物はまずありません。古代史に大きな発見があればこうした歴史に変化が起こる可能性は否定はできませんが、現段階ではこのような半端な数字はよほどの確証がない限りはこの世界を知る者からすればとても言いづらい数字と言えます。ですから、こうした表記のある店にはジーはおろか他の品々にもかなり危ない品が多いと思った方が良いでしょう。
それから、よく50年程度はチベット人が着用した事には変わりがないのだからコピーであろうとそれはまた意味があるということを言う方がおられますが、それは違います。日本の旧家の蔵から出た品であっても偽物があるように、筋の違うものはたとえ有名寺院の僧侶がお付けになられていたとしてもコピーであって、本物になることは永遠にありません。
古美術の世界では有名ですが「時代を付ける」というのがあります。それは贋作を風雨にさらしたり土に埋めたりすることでそれなりに仕上げるという意味です。チベット人が好んでそれをしたわけではないでしょうが、台湾人と中国人にまんまと乗せられ結果として彼ら自身が筋の異なるコピーに時代を付けた。そしてそれが時に本物としても生きる。後味がいいとはとても言えないのではないでしょうか。
さらに、その店自身が所有をしていないにもかかわらず、そしてそのジーの未来、つまり行方を承知していないにもかかわらず、躊躇なくウェブサイト等に本物らしきジーを掲載しているところ。
2アイや3アイが無造作に並んでいる絵はその典型ですが、そうした写真を載せているようなところも注意した方がいいかもしれません。
それは長くこの世界に関わるお客様には特に重要な視点になります。ジーに対する愛が感じられないこうした行為は、主に「箔」をつけたいが為に行われる訳ですが、こうした自己中心的な行為は我々の世界では良しとしません。
こちらに関しましては本ページ下方のエピソードで詳しく述べていますのでご覧ください。
それでは次にお店のあり方から見えて来る視点にたってお話をいたします。
たまにズィーをアンティークビーズの延長線上でお売りになっておられる方がおられるようですが、ジーはアンティークビーズの世界だけを見ていても残念ながらまったく理解はできません。
チベット密教そのものをある程度理解し深める視点がどうしてもジーを理解するうえでかかせません。
千年近くを仏法の世界観の中で生きていますから当然と言えば当然かもしれません。仏の世界に生きたことの意味、そして仏の世界に生きたものを迎えるということがどういうことなのか、それを理解せずにジーを語ることは決してできません。外国人が日本の文化を語るとき、日本人の持つ感性を理解せずに語ることができないのと同じです。
そんな外国人がする日本文化の説明を日本人は誰一人受け入れらないのと同じです。
しかし、チベット密教を学びそこだけを通して考察するだけでもやはりまだ理解は足りません。それはアジアにおける歴史上のビーズの流れを理解する視点も求められるからです。
ですので両者をしっかりと見つめ、両方からのアプローチをしていくことがとても大切です。さらに民俗学や地理学など幅広い視点をもつことでより客観的にものをみることができるようになります。つまり、アンティークビーズだけではなく仏像や法具、仏画など密教美術も共に扱っているお店であるかを確認することが良いズィーを探すうえでとても重要ということです。
また、この世界を愛するお客様は特定のお店さんととても長いお付き合いをされていかれることになります。ですからなるべく多くの情報を持ち、実店舗があり、いつでも連絡が取れるような環境の整っているお店さんをお選びになるのが賢明であると思います。この点につきましても本ページ下方のエピソードで詳しく述べておりますのでご確認ください。
最後に一点、注意していただきたいことがございます。
現在、アンティークのジーの市場はその約8割を安価な出土品が占めているといわれます。安価と言ってももちろん先に述べた価格帯に入ってまいりますので決して安いわけではありません。
出土品は長きに渡り代々守られ受け継がれてきた伝世品とは違う歴史をたどっています。ジーの歴史を知る上では貴重な資料とはなります。しかし出土のジーは来歴があまりいいとは言えません。
代々ジーを守り続けてきた私の仲間のチベット人達はこうした温もりが感じられない出土品はあまり着けたがりません。私も若いころは気にせず着けていたこともありましたが今は出土品にはあまり惹かれず手を出しておりません。
残念ながらこの領域になりますとその見極めがさらに難しくなりますので、こういう物があるということを頭に入れておいていただければ良いかと思います。ちなみにアンティークビーズのほぼすべてが出土品ですので今回のお話は特異な歴史をたどったジーについてのみのお話だと思って頂ければと思います。
以上が一般の方が比較的簡単に見極めが出来る方法です。
本来であればアジアの古代史、とりわけ南アジアと西アジア、中近東との古代史から中世までを見ながら、チベットとの関わりの中で、物・事の流れを順に追ってご説明して行くことが大事になりますが、それは実店舗で実物を例に挙げながら直接お客様にお伝えさせていただきます。
まず何よりも多くの方が残念な思いをしてしまわないことを優先してお伝えしたいと思い書かせていただきました。今回のお話はチベットも含め日本や世界中で使える物差しだと思います。旅に出られ、もしくは骨董市やどこかのお店で万が一にも古そうなジーに出会ってしまったら、この方法を使ってみてください。
しかし・・旅先で出会える確率はほとんどありません。もし・・見てしまったら・・心を落ち着けて慎重の上にも慎重になってこの話を思い出してみてください。
また、こうしてお値段や歴史を見てしまいますと少し遠い存在になりがちですが、
高いものが決していいというわけではありませんし、まだ自身が未熟だからといって遠慮するものでもございません。
眼の入らぬものであっても想いを受け継ぎ生きたジーもあります。
それでも数万円にはなってしまいますが、
しっかり伝世をしてきたジーもございますので、まずはこのあたりからジーに触れていくのも良いと思います。
そして、人は誰しも未熟なものです。
だからこそ、いつか手放せる程の時を夢見てジーを迎えるわけです。
十年後も二十年後も・・お客様にとって、そしてそれを次に受け継ぐご家族の方にとって、少しでも良い風を届けてくれる本物のジーとめぐり合えることを心より祈っております。
BUONA VISTA(ブオナ ビスタ)
店主 柴山
※上記の数字は一般的な景色のジーを想定しております。大きさや文様の特殊性によりこの範囲でない場合がございます。また、範囲内であっても本物を保証するものでもございません。損をしてしまわないようコピーの見極めに重点を置いております。
※上記の数字は現在の数字です。今後、アジアの骨董市場は数字がより大きくなることが予想されますので、随時、訂正してまいります。
※写真・文章の無断転載はご遠慮ください。より詳しくお知りになりたい方は実店舗までご連絡ください。
伝世された本物のジーの半数以上は、
大きな傷みを抱えています。
大きく削られているもの。
切断されているもの。
当店のジーをよくご覧になってみてください。
なぜ古のチベット人はジーを削り、切断してきたのか。
みなさんは考えたことがあるでしょうか・・・
例えばここに完全なコンディションの9アイがあるとします。
みなさんはこのジーを削ったり切断したりできますか・・
そうです。
おそらくジーを知るほぼすべての現代人はそれができません。
そしてそれはずっと手頃な2アイであっても同じです。
では、なぜ、
古の民はそれができたのでしょうか・・・
今の様に価値がなかったから・・・
そう思われる方も多いかもしれませんが、
おそらく相対的に見れば古の方が遥かに今より価値があったということは
あらゆる状況からも判断できます。
ではなぜか・・・
それはジーのその向こうに信じる絶対的な世界があったからです。
チベットであればそれは多くの場合、仏の世界です。
そして・・・
その祈りの世界に生きたからこそ、
人々はジーに惹かれジーを求めるのではないでしょうか。
だからこそ、本物でなければ意味がありませんし、
出土品ではなく仏の世界で祈りと共に生きた伝世にこそ意味があるのだと思います。
コピーを売る方、それを買う方に伝えたいのは、
それはジーではないんです。
それではジーの本当の魅力は永遠に得ることはできないんです。
また、伝世と出土が同じと語る方は
本当に心の底からそう思われるのでしょうか・・
少しこの世界を知ってくると陥りがちなところが骨董の世界にはよくあります。
今まで語られてきたジービーズのお話の多くは
おそらくここ100年程度の間に、
しかも一部の地域の人々の影響を強く受け出来上がってきたものと考えられます。
しかしそれがジーが誕生したころ、もしくは千年前もそうであったのかは
実は学術的に誰も認めることはできません。
そして学問とは既存の考えに挑むという側面も当然なくてはなりません。
骨董界は今まで言われてきた定説、
もしくは現在の現地の考えを検証もせずにそのまま受けてしまうことがよくありますが
我々がもうひとつ大事にしていかなければいけないことは
なぜ、誕生し、現在の様に金銭の思惑とは離れ
最もそれを大事にしていた時代の古の人々がどう考え求めていたのかを
探求していくことです。
この世界を僕もたくさん見てきました。
そしてよく言われる様なことは重々承知をしています。
むしろ誰よりもそこは理解しているつもりです。
ですが、僕はそれがすべて正しいとは思いません。
過去、それを出来てきたのか否かは別として
少なくとも仏の世界の考えに心を寄せ
そこに向かい、葛藤していくことを
このチベットのジーは我々に問い、
我々も本来はジーを通しそこに向かうことを大きな支えとするという側面は必ずあったものと考えます。
そして、数千本のジービーズを扱い、
見つめ続けて感じるのは
それこそが
このジーの最大の魅力であるのではないかということです。
超がつくほどのコレクターが、
また、ここにたずさわる関係者が、
最後になってはじめて気づくことが、
単なる収集の空しさと、
古物をみつめることの本当の意味です。
人は死を迎える直前に最も素直になります。
そしてその時になってはじめて思い返し気づくことがあります。
けれども、
未来が大きく残されている時点で、
この気づきができれば・・
人生はより潤うものと信じます。
ジーを知るということは
その世界に生きたことの意味を感じ、
心を重ねていくことであり、
姿形を追いかけることがすべてではありません。
むしろジーはその欲望の対極に生きた石です。
どうか順序を間違えないでください。
大事なのは
まずジーに心をよせてみること。
そしてそれを守ってきた先人達に心を重ねて行くこと・・・
その行為を止めることなく常に想う。
そして・・その上で
存分に収集し、さらに深部へと興じてほしいと思います。
僕はみなさんより何百倍も物を見、
何百倍もの経験を踏み
何百倍ものお金を費やし、
たどり着いた道があります。
そしてものを売りお渡しすることよりも
その道を授け、
自身が費やしてきた膨大な時間をショートカットさせてあげることこそが
最も大切な事と考えています。
皆さまには
そのことを、
その道を、
知っていただきたいと思います。
そして・・
どうかこの世界の王道を歩んでいただきたいと思います。
ジーを迎えるということは・・
そういう心を宿し育むことでもあるんです。
BUONA VISTA(ブオナ ビスタ)
店主 柴山
リペアしたジービーズ。90%は本物ですが10%が樹脂で足されています。
こうして直し100%の本物として元の数倍の値で密かにアンティーク市場に流されます。
左が本物のアンティーク品の風化紋。右が人工的に付けたコピーの風化紋。
2世代にわたり受け継がれたガラスで出来たイミテーションのジー。
1930年頃のジーでインド、ドイツなどで作られたもの。
3割強と、大きく修正したジー。(7割位は本物で3割を樹脂で付け足しています)
チベット人の手によるもので修正を加え数百万の利益をのせ静かにアンティーク市場に流れます。